elgarian_tub’s diary

コンサートやオペラ、映画、書籍など、見聞きしたものの感想と、日頃思うことなどを、好きなように書き散らかします。筆者は社会科学系博士課程院生、アマチュア・オーケストラ奏者。ブログの内容は所属や本人の研究と何ら関係ありません(と書かなきゃブログも気軽にできないご時世)。

地元で2ヶ月研究生活をして

 私は東京の大学に所属する社会科学系の博士後期課程大学院生だ。このコロナ禍で授業も研究活動も全てオンラインであることもあり、またお盆だけでも実家で過ごせるようにしたいとの思いもあり、7月の頭から2ヶ月間、東北の実家に帰省していた。

 この帰省は、単にコロナ禍かつオンライン化に対応した一時的なものに留まらず、将来的に1~2年程度実家に帰って研究をすることを検討しての実験でもあった。なぜなら院生は低所得だし、実家にいれば(相応の費用は払うとしても)東京よりは何もかもが安上がりだからである。また、現在は幸いにも学振をもらっているが、それが切れるまでに学位が取れなかったり、生計を立てる見込みが立たなかった場合(その可能性は高い)、東京で一人暮らしを続けるコストはあまりにも高い。

 もちろん、この状況下で肉親の顔を見たいとか、地元の空気や食べ物が好きだとか、安らぎを求めていた側面もあった。…だが、この2ヶ月、私が最も感じたのは、率直に言って「疲れ」と「自己嫌悪」だった。

 この投稿では、私が2ヶ月間で感じたことを、あえてなるべく包み隠さずに書く。それが例えば他の地方出身院生の参考となったり、誰かが考える切っ掛けになったり、あるいは私を知る人が私の人間性を理解する助けとなったりといった効用があるのかは分からない。が、自分の備忘録として残しておくと同時に、こういう悩みを抱えてしまう変わり者も世の中には一人くらいいるのだと知ってもらう契機になるかもしれないと思い、あえてオープンな形で文章化しておきたい。

 以下の文章は、いくぶん家族に対する非難めいたものを感じ取られるかもしれないが、家族や他の地元の人々、知人友人を貶める意図はないし、家族を嫌っているわけでもない。このことをまずご理解いただきたい。おそらく私自身の受け止め方、悩み方があまりに特殊なのであって、誰が悪いということではない(おそらく多数決を取れば圧倒的に悪いのは私だ)。贅沢な悩みだということも承知である。この投稿を読もうとする人がいったいどれほどいるのかはわからないが、こんな悪趣味な投稿を最後までお読みになる方がいるとすれば、上記を念頭に置きながらお読み頂ければ幸いである。

 

地元に帰って良かったこと

①オンライン化により支障はあまりない

 研究活動に必要なものは、COVID-19対応でほとんどオンライン化されており、学外からでもアクセスできる。文献やデータベース等へのアクセスは大学VPNを介すればどこからでも可能で、授業や研究会なども大半がオンラインで行われている。むしろ、国内外の研究者との気軽なやり取りは以前よりも増えている。したがって、実家にいようが大学付近にいようが、できないことはあまりない。

 

②生活面

 何よりも生活費が浮く。アパートを解約したわけではないので家賃は払ったし、食費等込みで多少は親に納めたが、それでもなお様々な費用は浮いた。また、実家にいると生活リズムが整う。大学院生の一人暮らしは乱れた生活になりがちだが、同居人がいることで矯正される。

 

③趣味もまあまあできる

 私の地元は地方都市にしてはハード・ソフトとも充実しているので、文化的なものにも適度に触れられる。私の趣味はクラシック音楽鑑賞だが、それも中核市レベルでは珍しく可能という恵まれた環境にある。東京よりも公演数は少ないので、珍しい作品を好む私には若干物足りない面もあるが。

 アパートではできない家で楽器を吹くというのも思う存分できる環境だった。タスクが重なっていてあまり時間は取れなかったが。

 また適当な散歩をして歴史的建造物などに触れることもできる。これも私にとっては嬉しいこと。

 

④食べ物は旨い

 ラーメン党のわたしにとって、ラーメン王国の地元は極楽(太るが)。東京のラーメン有名店でなかなか満足できたことがないので、地元のラーメンを食べるとほっとする。蕎麦屋にもラーメンがあるのがデフォルトだし。

 米も果物も肉も野菜も旨い。食べ物に関してはいくらでも御国自慢ができる。

 

⑤お盆の墓参りができた

 墓参りと初詣へのこだわりは何故か昔から親世代よりも強い人間なので、盆に墓参りができないというのはかなりつらかった。東京にいたら盆に帰省するのが難しくなるかもしれないと思い、早めに帰った上で最初の2週間は家に籠もったが、この点は先見の明があったと思う。

 

つらかったこと

①大学にいけないことによる不便

 学内施設が身近にないのはやや不便。ちょっと読みたい文献があっても図書館や生協書籍部、また研究室や自宅の蔵書へのアクセスがない。

 また、私の部局では公費で物品購入する際は原則として見積書等が必要で、大学生協等の手続きに慣れたところで買うのが一般的なのだが、地元にいるとそうした執行手続きができないのですべて自腹になる。さらに、実家で研究をこれまでしたことがなかったので、多少の機材は投資が必要になった。

 加えて、簡単な研究アイディアや隣接分野の研究動向、研究方法、最近読んだ文献の感想などの相談を気軽に学友とできる環境は、院生にとっては重要だと痛感した。大学の院生室は共用施設なのでそれができるが、実家にいる限りはオンラインでわざわざ場を設定しなければならない。

 

②TVのワイドショーが垂れ流されている

 実家はTVがずっと流れている家庭である。これがつらいという感覚はなかなか理解されにくいと思うが、専門家軽視のワイドショーが垂れ流されているのは、一応専門家を目指している者の端くれとしてはとても耐え難い。

 ワイドショーも批判的に見る材料として触れるならいいと思うのだが、見ながら批判的なことをしゃべると(それが私にとっての「楽しい会話」なのだが)とめんどくさがられたり、怒られたりする。

 

③周囲に「楽しい」が重なる人が全くいない

 何よりもこれが本当につらかった。趣味(音楽と社会科学)に全振りして生きてきたので、家庭で一致する話題が一つもないし、好きなことを話してしまうと食卓が白けたり怒られたりするので黙っているしかない。

 昔から私だけ別の方向を向いてはいたけれども、大学入学以降は心置きなく好きなものに全振りできたし、何か共通するものがある人とばかり関わってきたから、以前より趣味以外の会話ができなくなっている。

 例えば昨今なら趣味の音楽に加えて、日本の政治情勢やコロナ禍での各国政府の政策、ベラルーシ騒乱、マリのクーデターなどが私にとっての「楽しい話題」あるし、私にとって「気楽で楽しい会話」とは、議論を重ねたり、何かを探求したりすることである。しかし、そんなものを楽しい会話だと捉える人は当然家にはいない。テレビで稀に興味のある話題が出たときに気楽に感想を述べても、それが嫌がられることのほうが多い。私の「楽しい」と家族の「不快」がほとんど重なっているのである。

 一方で、家族にとって「楽しい」会話は私にとって楽しくないことが多い。普段ほとんどTVを見ないので芸能人や歌手の話をされても知らないし、食卓では黙っているしか無い。しかしそれはそれで不機嫌に映ってしまう。

 もちろん、私の「楽しい」が明らかにずれているということなのだと思う。考えてみればこの半年程度は、出歩かなくなった結果、大学院生や研究者としか話すことがなかった。エコーチェンバーにどっぷりと浸かりきったこの半年の生活で、それ以外の人との話し方を忘れてしまった気がする。元々コミュニケーション能力に難があったと思うが、さらに悪化した。

 大学院は批判的思考を鍛える場、楽しむ場だと思っている。一方、少なくとも我が家は、そういったものを忌避する場、楽しいと感じる人がいない場である(それが標準であろう)。前者での人間関係に浸れば浸るほどに、後者の空間に身を置くのが下手になっていく。普段から住んでいればスイッチの切替もできるのだろうが、元々年に2回程度しか帰省もせず連絡もあまり取らない自分が久々に帰ってきていきなり数ヶ月滞在すると、その差に心身がついていけないのである。

 タチの悪いことに、私は「好きなことを話すのが好き」で「共感されたい欲が強い」人間なので、なおさらつらい。

 …などと自分でも書いていて相当に面倒で嫌な人間だと思う。そしてこんなことに毎日のように思い悩み3日に1回は摩擦を生じさせ、自分はなんて邪魔な人間なんだろうかとさらに沈む。…本当に面倒なやつだな。

 基本的に人から共感されない要素の塊なので、家族を始めとする一番身近な人には多少なりとも共感されたいという気持ちがあるのだが、まあ無理だということなのだろう。であればずっと独り暮らしが一番望ましいのかもしれない。

  

 こんなことを書いておいて説得力はないだろうが、家族が嫌いなわけでは全くなくて、相性の問題に過ぎない。でも、トータルで20:80で「つらい」が勝ってしまった。それがこの2ヶ月間の率直な感想だ。実家でこんな感想を持つなんて、親不孝にも程がある…。

 

 そんなわけで、私はコロナ禍が落ち着いたとしても暫くは帰省しないかもしれないし、帰るとしても日帰りか1泊程度になるのだろう。どうしてこんな人間に育ってしまったのだろうなあ…。

 

 ちなみに、私が一番強い関心を持っている社会問題は地域格差。だから本当なら地元の役に立ちたいという気持ちを強く持っているのだが、自分の仕事や能力を地元に役立てる方法は全く思いつかない。というか、こんな投稿をしてしまう人間を必要としてくれる場所が地元にあるとは思えない。こうした葛藤がより深まるのも、地元にいるときのつらさである。