elgarian_tub’s diary

コンサートやオペラ、映画、書籍など、見聞きしたものの感想と、日頃思うことなどを、好きなように書き散らかします。筆者は社会科学系博士課程院生、アマチュア・オーケストラ奏者。ブログの内容は所属や本人の研究と何ら関係ありません(と書かなきゃブログも気軽にできないご時世)。

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観て

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大島新監督のドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』、監督舞台挨拶付きの上映を観た*1

香川1区の野党議員、小川淳也代議士(5期・比例復活・現在無所属/立憲会派所属)を17年に渡って追った作品。彼は政治ウォッチャーの一部では注目されてきた人で、2019年の統計不正問題において、国会で具体的なデータを示しながら鋭く迫る質疑は一部で「統計王子」などと話題になった。

などというと、政治に関心のある人、それもどちらかといえば野党寄りの人が観る作品だと思われてしまうかもしれないが、決してそうではない。

この作品を一言で言うならば、「高い志を持った立派な善人だが、権力欲が足りず環境も悪くて出世できないために、志をなかなか実現できない人」の物語。こういう報われない人、どこの組織にもいるのではないか。この映画は、そんな人がなぜ報われないのか、本人の問題なのか、理想主義者は報われなくても仕方がないのか、といった普遍的で重い問いを、投げかけているのだ。

崇高な理想を抱いてエリートコースを退官した若手政治家、だが…

監督は小川の取材を、2003年の初出馬から行っている。

小川は高松市出身、高松高校・東大法学部を経て自治省に入省。2003年に退職して、香川1区で民主党から衆院選に出馬する。実家はごく普通の地元の美容室で、昔から政治家になろうとしたことはなく、官僚として天下国家を考えたいと言ってきた。

出馬当時は小泉人気の絶頂期。また香川1区は地元の四国新聞西日本放送オーナー一族で世襲三世議員・平井卓也の強固な地盤*2。小川には自治官僚として活躍の場があった。そんな状況で敢えて退官して、明らかに不利な地元選挙区に野党から出馬する。

当時32歳の小川は監督に向かって言う。

政治家になりたい、と思ったことは一度もないんですよ。“なりたい”ではなく、“ならなきゃ”なんですよ。やらざるを得んじゃないか、という気持ちなんです。

この人には明らかに権力欲・出世欲はない。「こんな政治家がいたのか」と思わされる。小川は官僚として働いているうちに、その限界に気づき、政治家になって変えなければならないと思うに至ったのだという。省庁のトップは名目上大臣になっているが、実際にはトップは事務次官であり、事務次官より偉いのがOBなので、連綿と続く政策が変わらないのだと。だから、政権交代によってそのシステムから変えなければならないのだと。

崇高な理想を掲げ、おそらくは心の底からそれを信じ、自らの全てを擲って出馬した人。それがここで描かれる初出馬当時の小川だ。だが、結果は落選。その後05年郵政選挙で比例復活初当選、09年政権交代選挙で選挙区初勝利、そして12,14,17年は比例復活で現在当選5回。

比例復活の場合、選挙区での地盤固めに苦労しなければならずに東京での人脈を広げきれず、また党のおかげでかろうじて当選できている立場でもあるため、党内外での発言力は著しく弱まる。そのため、表舞台になかなか立てず、掲げた理想を実現できない。

小川は、政策には自信を持っており、「もしこれを代表や幹事長、閣僚が言ったら必ずインパクトがある」と言うのだが、小川の立場では全くインパクトがない。

また小川は、スキャンダル追求にはあまり関心がなく、国会で鋭くデータを持って追求し、政権と正面から対峙して再び政権交代することを望んでいることが言動の端々から感じられる。だが、下野した後の民主党民進党では、発言力のなさと党の方向性によって、そのような質疑がなかなかできず、葛藤してきた。

 

心に残る小川の言葉

心に残った小川の言葉が2つある。

政治家がバカだとか、政治家を笑ってるうちは、この国は絶対に変わらない。だって政治家って、自分たちが選んだ相手じゃないですか。自分たちが選んだ相手を笑ってるわけですから、絶対に変わらないと思ったんですよね。

だから行動するのだと。これは、左右問わず、色んな人に聞かせてあげたい。小川の趣旨とは少々違うと思うが、私は、「アベガー」も「ミンシュガー」も本質は同根で、この国の政治を本気で良くしようなどとは思っていないのだと考えている。だって、政治を変えるためには、自分と違う考えの持ち主をも説得しながら、真摯に行動することが必要なのだから。自分を支持するものをバカにされながら話を聞く人などいない。

もう一つ。

何事もゼロか100じゃないんですよ。何事も51対49。でも出てきた結論は、ゼロか100に見えるんですよ。51対49で決まってることが。政治っていうのは、勝った51がどれだけ残りの49を背負うかなんです。でも勝った51が勝った51のために政治をしてるんですよ、いま。

よく、民主主義は多数決だと言う人がいる。これは半分正しくて、半分間違っている。なぜなら、多数決でのマイノリティに真摯に向き合い、その権利を保護しなければ民主主義とは言えないからだ。世の中には構造的に常にマイノリティになる人もいる*3。あるいは、少数意見でも真摯に考えている人がいる。そういう人まで背負うのが政治なんだと。これは、今の政治に明らかに足りないもののように思う。

 

立派だが、政治家に向いているのか?

こんなことを口にする小川の姿に、初めは「立派な人だ、こんな人が政治家として活躍してくれれば」と思う。だが、ずっと観ていると、次第に「この人は立派だけれど、政治家には向いてないんじゃないか」と思わされてくる。なぜなら小川には、政治家として志を遂げるのに必要な、権力欲や強かさが全くない(ように見える)。

小川の両親や妻も、同じ疑問を口にする。映画の終盤、監督はついに本人に問う。「あなたは政治家に向いていないのではないか」と。小川は、それを否定しない。

 

「普通の全うな人」という人物像の裏返しとして、小川には気になる点もある。人としての常識はあっても、政治家としての常識にはあまりに欠けるのではないかと見える言動が目につくのだ。

混乱した17年衆院選希望の党の低迷に喘ぐ苦難の選挙戦最中、小川は小池への不信感や希望の党への違和感を口にしながら、「打倒小池」などと口走るのだ。仮にも自分が公認申請した党の代表にそんなことを言えば、自己矛盾である。有権者の前ではないとはいえ、カメラが向けられている中で党所属議員が発する言葉ではない。

また映画には登場しないが、2018年9月、無所属だった小川は、あろうことか国民民主党代表の玉木雄一郎政治資金パーティーで来賓として挨拶した際、唐突に「明日から所属会派が分かれることになる」と述べ、翌日からの立憲会派入りを表明したというのだ*4。見方によっては、盟友の顔に泥を塗る行為と言えなくもない。だがおそらく小川としては、これで玉木に仁義を切ったつもりなのだろう。それは小川の真っ直ぐすぎる人となりを反映した行動であり、それが彼の良さでもあるのだが、政界や支援者などからどう見られるかという視点は、明らかに欠けている。

そんな、まっすぐで不器用な人柄からは、たしかに総理大臣になれない理由も分かる。だが、そういう人が活躍できない世の中が嫌だからこそ、こういう人に期待したのではなかったか。こういう人に何かを期待する時は期待して、後は簡単に切り捨てて良いのか。政治家向きとはなにか、政治家に私達が何を求めているのか、そしてこの社会で報われない人について、考え直させられる。

 

大混乱の17年衆院選、巻き込まれる家族

前代未聞の混乱にあった2017年総選挙前後の記録としても貴重な映像だ。小川は前月の民進党代表選で当選した前原誠司の最側近。代表選の政策を練り上げ、前原代表の下で党役員室長に就任する。小川がほぼ初めて、党内で出世した瞬間だ。

しかしそのわずか1ヶ月後、支持率が低下した安倍政権は解散に打って出る。これに対して、小池旋風に危機感を抱く前原は、党まるごと希望の党へ合流することを決断。しかし、当初台風の目だった希望の党は、小池のいわゆる「排除」発言で急転直下低迷し、また民進党議員は公認されるかどうかも判然としないままに選挙戦がスタートする*5

 

希望の党の公認を巡って民進党若手・中堅議員が皆揺れる中で、小川も深く葛藤しながら、公認申請を決断する。「前原さんほど右でもなく、枝野さんほど左でもない。その真中で繋ぎ合わせる役目を果たしたい」と語り、自他ともに認めるリベラル中道政治家である彼が、公認申請した理由はいくらでも正当化できる。前原最側近としての責任、玉木への仁義、野党一本化…。だがつまるところ、小川の弱さといえなくもない。 

このような葛藤に直面した議員は、当時各地にいたはずだ。

小川は公認申請を出すまでも、出した後も葛藤を見せる。苦し紛れとでも言うべきか、中盤には「党が変わっても小川は変わらない」をキャッチフレーズとするポスターを急遽使い始める。確かに映像中の小川自身は、変節していないように見える、が。選挙戦中に、監督に「無所属の方が良かったと思うか」と言い出す場面もある。

 

選挙戦は厳しい場面の連続だ。03年の初出馬時にも、当時6歳と5歳の娘が、選挙を支える母から引き離されて泣きながら祖母に引き取られる場面や、妻が無理に納得させながらも、「未来も大事だけど明日の生活も大事…」とぼやく場面などが挿入されていた。政治家になるというのは、家族を巻き込むということなのだ。未来のために頑張ると言っても、明日の生活を犠牲にして支える人が周りにはいるのだ。

 

だが17年の過酷さはそんなものではない。20歳と19歳になった娘と妻は「娘です」「妻です」のタスキを初めてかけて、小川の選挙運動を全力でサポートする。

娘たちは、「政治家の妻は嫌だ」と言って、父が政治家で苦労したエピソードを語りながらも、必死に支えようとする。

そんな家族とともに街頭に繰り出して、娘の前で地元の男性に罵倒される。「安保法制に反対しとったじゃろうが、イケメンみたいな顔して、心は真っ黒か」。口は汚いが、間違ったことは言っていない。選挙とは残酷なもので、小川はこんな声に対しても「真摯に受け止めて全力で…」等と受け答えをする。家族の目の前で。

選挙戦の映像、特に家族の姿に、思わず涙が溢れた。政治家のドキュメンタリーで泣くとは思わなかった。井手英策の応援演説も号泣もの。この選挙戦シーンだけでも、観る価値がある。

そんな苦労を重ねて、結果はわずか2000票差での選挙区敗北、比例復活。 

 

小川はリベラルな政治家だ。リベラリズムというのは本来、家ではなく個人の自由を大事にする思想であって、父や夫の選挙戦を何としても支えなければならないという構図はその思想に反するはずだ。でも、小川ですら、家族を巻き込まないことはできないのだ…。

この点に、日本の選挙、特に地方の選挙区における過酷さ、古臭さ、限界を見て取ることもできる。日本の選挙では、妻や秘書が国会開会中は地元で基盤を固め、選挙戦では事務所や街頭で全力で支えることが当たり前になってしまっている*6

 

玉木雄一郎小川淳也ープロとアマチュア*7

映画のメインではないのだが、政治オタクとしては、隣の選挙区の民主党出身議員である玉木雄一郎代議士(香川2区・4期・現国民民主党代表)との対比が面白かった。田崎史郎や本人も語っているが、同じような経歴ながら玉木と小川は全くタイプの違う人。二人共香川県を地盤とするほぼ同世代で、高松高校・東大・霞が関民主党衆院議員という経歴は共通。しかし、玉木は2009年以来4期連続で選挙区当選と党内での活躍を重ね、党代表にまでなった。一方で小川は、2009年以外はすべて比例復活で、そのため党内での発言力も弱く、地元の基盤固めにも忙しく、党内でほとんど出世できない。18年に希望の党を離党してからは無所属の陣笠議員でしかない。

 

玉木という人も、ユーチューブやSNS、演説では政治家らしくない庶民派に見えるのだが*8、二人並ぶと玉木はプロの政治家、小川はアマチュアに見えてしまう(5期の議員にこう言ってはなんだが)。おそらくそこが小川の良さでもあるのだが、どんなに良い志を持っていてもそれを実現する力が伴わければ…と思わなくもない。

映画で小川と玉木が並んで登場する場面は1度。あの17年総選挙の際、地元・香川の民進党議員として二人並んで、離党の上希望の党から出馬することを表明した記者会見のシーンだ。その前後、小川の公認申請への葛藤が描かれる。一方の玉木は、自分たちの行動がどう思われるかを考え、小川に対して「希望の党に自ら行ったと見えない方がいい」などとアドバイスを送る。それを見た移動車中の小川は、「そんなのどうでもいい」と言い放ちながら、希望の党への躊躇を見せる。記者会見でも、ほとんどの質問に先に玉木が明瞭に答え、小川は躊躇っているようにも見える硬い表情のまま、続いて答える。回答の一つ一つも、まるで自分自身を無理やり納得させているかのようなものだった。

 

もう一つ。玉木は地元の話や地域格差、地方の人口減少などの話を頻繁にする。一方、小川は地元の話は全然しない。そこには私は違和感を覚える。地方出身で東京の大学に行った私は、県と出身とはいえ、東京でしかできない様々な活動に触れ、帰省するたびに地元の過疎やその進行を見せつけられ、地域格差に対する行き場のない憤りを覚える。その憤りを主なエネルギー源として行動しているようなところすらある。だから、玉木の言葉はとても良く刺さり、率直に言って地方と東京の双方を分かる政治家だという期待感を持ってもいる(支持まで踏み込んでいるわけではない)。

一方小川は、立派な政策を持っているけれども、そういった地方の話をしないし、選挙区である地元に何をしてくれるのか、地元の問題をどう考えているのかが見えてこない。国政全体の未来を変えようとしてくれるのは立派だが、明日の自分たちの生活に何をしてくれるのか?と思う地元有権者も多いのではないか。

象徴的なエピソードが本人と田崎史郎の会話で登場する。玉木は地元の陳情をなんでもやろうとするが、小川は特に若い頃、陳情に対して財源論などを語って突き返してしまっていたという。最近はちゃんと話を聞くようになったとは言うが、その本質はおそらく変わっていないように見える。これも彼の率直さを反映して入るのだが、悪く言っててしまえば、地に足がついていないし、庶民の生活を本当に見ているのかという疑問も湧いてしまう。こういうところで玉木や前原にせよ、自民党にせよ、政治のプロと小川の差が見えてしまう。

大島監督の舞台挨拶では興味深いエピソードを聞いた。2019年の統計不正問題の際、彼の質疑が一部で話題になったが、彼の鋭い質疑に対して、いつも民主党の同僚からはほとんど褒められず、自民党の重鎮ばかりから「良い質問だったよ」と声をかけられるのだという。保守の懐の深さ、与党の余裕、野党の内ゲバ癖など、彼が野党内ですら活躍できない要因と、なぜ一強多弱が続くのかが垣間見える。

 

政治学と政治家

日本政治ではないとはいえ、政治学を一応学んでいる身としても色々と考えさせられる。

「なぜ彼が総理大臣になれないのか」に対する直接的な答えは、「比例復活だから」であり、「保守王国・香川で中道左派的だから」であり、「地盤・看板・鞄がないから」であり、「対立候補世襲三世・地元新聞とテレビのオーナー一族の強固な地盤を持つ平井卓也だから」である。多数比較の理論的な政治学の視点からもそういった答えが出てくるだろうし、それは統計などでおそらく簡単に実証できるし、的外れでもないと思われる。

だが、小川個人を17年追った本作品を観ると、「果たしてそれだけなのか?」と思い直さざるを得ない。彼の個性というもっと個別的な要因と、その個性が活躍には繋がらない構造的な要因とが、複雑に絡み合っている。それはおそらく香川1区や旧民主党系にとどまらず、様々な所にある問題なのだろう。

実証政治学は、分析者が完全に中立であることは不可能であると自覚しながら、それでもなるべく規範的な問い(〜べきか?)からは距離を置いた分析に徹する(と思う)。残念ながらその価値は必ずしも誰もが理解してくれるわけではないが、それは規範的な議論をする前段階としても重要なものだし、私はその価値を信じている。しかし、である。フィルムを通して藻掻く小川の姿を目の当たりにすると、こういう資質ある個人を見ずにデータ上の客観的分析に徹するだけでよいのか?という疑問を持たざるを得ない。研究者がなすべきは分析によって考えるための材料を提供することであって、その先は市民に判断を委ねるのが、民主主義社会でのあるべき研究者像だと私は信じている。だが…。この先の答えはまだ出ないのだが、学問への向き合い方を考えさせられた。

 

大島監督の舞台挨拶では、「なぜ君は」というタイトルは、小川個人に限らず、小川のような人がなぜなれないのか、そしてなぜ君たちはこのような人を総理大臣にできないのかという意味が込められているとのコメントがあった。

 これは普遍的な問いなのだ。後半は私の個人的な趣向や経験に基づくあまり普遍的でない感想を書いていしまったが、これは広く観られるべき作品だと思う。小川や旧民主党をどう思っていようが関係ない。どうかこの作品が、広く、できれば政治に関心のない人や、与野党支持を問わず、幅広い年代の人に、観られますように。

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*1:映画公式サイト http://www.nazekimi.com/

*2:現社長は平井の弟。地元テレビと新聞を押さえる政治家が強いのは言うまでもない。作中には、四国新聞が平井に比べて小川に悪印象を与えているようにも見える微妙な報道が登場する。

*3:民族、言語、宗教、社会階層、障碍など

*4:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASL996QCQL99UTFK008.html (2020年7月20日最終閲覧) 

*5:世間一般と違い 、この当時の前原の決断が誤っていたかどうかは、私は今でもわからないと思っているが、それは映画の外の話

*6:家族が巻き込まれる模様はこの映画で特に泣けるポイントだが、それは美談にしていて良いのか?というところまで踏み込んでほしかったと思わなくもない。そこまですると、本映画の主題からはずれていってしまうのだろうが…。

*7:20年7月11日追記。投稿後、本節について、玉木と小川の対立候補の強弱差は重要だとのご指摘を頂いた。小川の対立候補である平井卓也は記事中でも触れたように自民党内でも強固な地盤を誇る。一方、香川2区の自民党候補は、かつて連続当選していた木村義雄が2009年総選挙で玉木に敗れた後に参院に転出しており、以降の自民党候補は新人であって、玉木が12年は僅差で、14,17年は次第にリードを広げて徐々に勝ち上がってきた。世襲でメディアまで握る平井に勝つ難しさとは比べ物にならず、その点に触れなかったのはフェアではなかったかも知れない。とはいえ、保守地盤の地域で勝ち上がってきた玉木と対比したときに、小川の言動を見ると、利益誘導をやりたくない彼の正義感の反映であるとはいえ、選挙に勝てない原因が対立候補だけでなく本人にもあると思わずにはいられない。

*8:なお、彼は僕が好きな政治家の一人なので、偏った見方をしているかもしれない